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circaのブログ

ほんでもまんで生きとるわいね

フレディのドキュメンタリーを見た

PPAPの面白さが全く分からなかったけど、エビインビン・バージョンを初めて聞いて、ツボにはまった。カナブンインビンに大笑いして、今日は一日が始まった。

 

いえ、今日はピコ太郎の話じゃないんですけど

 

一昨日、スマホYouTubeを見ようと思ったら、「あなたへのおすすめ」という表示が出てきた。フレディ・マーキュリーのドキュメンタリーだったので、わたしは喰いついた。一時間半のドキュメンタリーを食い入るように見た。二度、三度と繰り返し見てしまった。そのくらい良くできたドキュメンタリーだった。ロンドンの幼なじみにもメイルで勧めたら、彼女も一気に見たと言っていた。

 

わたし達がロンドンに着いたのは、1990年の9月の初めだった。そしてその二か月後、フレディが亡くなった。イギリス中が、彼の死を悼んだ。大袈裟だけどその位、彼の死は大きな衝撃だった。ウェンブリー・アリーナでフレディの追悼ライヴが開催されて、友人のカメラマンはアリーナへ飛んで行った。わたしと幼なじみは彼の家で、当時まだ赤ちゃんだった彼の息子のベビーシッターをしながら、テレビにかじりついていた。ドキュメンタリーを見ながら、当時のことを思い出した。

 

ドキュメンタリーでも言っていたけれど、80年代にアメリカのゲイ社会で徐々に蔓延していったエイズは、当時は治療法もない死の病だった。たくさんの憶測と誤解がエイズにはあって、「ゲイの癌」とも言われていた。フレディはエイズで亡くなったのだけど、彼の生前のプライベート・ライフが、ドラマと実写を交えて、ドキュメンタリーで詳細に描かれていた。フレディ役の俳優が本人にそっくりで、どれが再現でどれが実写か分からないほどだねと、幼なじみも言っていた。

 

フレディの生涯最後の恋人がとても優しい人だった。フレディの死は悲しいのだけど、彼の人生最後の時間はとても穏やかで、幸せそうで、彼の近い友人達の心温まるエピソードなどを聞いていたら、救われる思いだった。二人が付き合い始めて一年後、彼がフレディの誕生日に指輪をプレゼントするのだけど、フレディの驚いた顔が何とも可愛らしくて、勿論その部分は再現ドラマなんだけど、何度見てもグッときた。

 

あれだけの有名人だから、彼をだましたり裏切ったりした人もいた。裏切者はタブロイドにネタを売って、メディアから報酬を得ていた。どこの国でも同じなんだな。芸能界のことはさっぱりわからないけど、傍から見ていると向こうのタブロイド紙もかなりエゲツナイことをしている。

 

スターを裏切る人がいて、スターを心から愛してくれる人もいる。

80年代、90年代はまだ、LBGTなんて言葉もなかった。

自分を偽らずに生きたフレディの代償は大きかったけれど、彼の人生は満ち足りて見えた。

フレディは、恋人にも友人にも、バンドのメンバーにも恵まれて、精一杯歌って生きて、そして穏やかに逝った。

いいな、そういうの。

単純だけど、そう思った。

 

今夜は久しぶりにクイーンが聴きたいや。

ああ、この身体が昔みたいに自由に動けば

イギリスへ飛んで行きたい。

youtu.be

 

 

 

喪中はがき届く

先週海外にクリスマスカードを送って、次は国内の親戚や友人に年賀状の準備、と思っていた矢先、喪中はがきが一通届いた。差出人は親戚の叔母で、亡くなったのは彼女の妹、つまりわたしのもう一人の叔母だった。

 

亡くなった叔母が生前最後に送ってくれた樽柿の樽が、今もわたしの部屋にある。樽柿の存在をそれまで知らなかったわたしは、柿を全て食べ終わった後もずっと、樽を捨てずにとってある。捨ててしまうのは余りに惜しい程、柿の味にも叔母の優しさにも感激したからだ。先月、部屋の大掃除をしていた時も、この樽を処分しようとは考えなかった。今は大したものは入っていないけど、喪中はがきを受け取って以来この樽は、叔母とわたしをつなぐ、最後の思い出になってしまった。

 

叔母さん、長い間わたしのことを可愛がってくれてありがとうございました。そして、長い闘病生活お疲れさまでした。向こうで母とまた、かしましくやっていてください。

 

最近車の事故が多い。しかも死亡事故。

 

ちょっと前までは、認知症の人が運転する車の事故が目立った。最近のは事故原因はさまざまだけど、事故に巻き込まれた人が亡くなるケースがとにかく多い。皆が皆、飲酒運転をしている訳でもないし、心臓発作を起こしている訳でも、彼女に格好よく見られたい訳でもないのに、巻き添えをくった人が命の犠牲を強いられるのは、どうにもいたたまれない。師走だから、暮れだから、寒い季節だからそういうことがいつも以上に痛々しく感じるのかも知れないけれど、こんな事件・事故はいつの時も、ない方がいい。

 

芸能界を引退した人も闘病中の人も、皆が無事に来年の日の出を迎えられればいい。殺人事件も交通事故のニューズも、もう聞きたくない。今年もあと三週間で終わりだ。せめて最後の三週間くらい、奇跡のように平穏に過ぎてみてはくれないかな、時間。

 

叔母の訃報に触れて風邪をひき、今夜はなんというか、少し弱気になっているみたいだ。

個人的にコスパ良しと思うヘアケア商品 の話

今日は朝ごはんの後、お風呂に入った。最近わたしがお風呂で使って、喜んでいるヘアケアがある。それはこれ↓

www.kao.co.jp

ドラッグストアで初めて見たので、トライアル3点セット540円ってやつを買ってみた。4日間使ってみて感想は正直、そのー、うーん、普段わたしが使っているシャンプーより高級感あるな、くらいなんだけど(汗 、ひとまず入浴の度に少しばかりの優雅気分を味わっている。いい商品なのだけど、わたしの髪にはイマイチ物足りないみたいで、結局はこの3点を使った後、仕上げにダヴのダメージケアシリーズのコンディショナーを使ってしまう。

japan.mydove.jp

わたしの髪は、実はそれ程痛んでいない。美容院でもそこそこ髪質は褒められる方なんだけど、昔からダメージヘア用のシャンプーやコンディショナーを使い続けている。ダメージ用のって当然のことながら「濃密」さと「潤い」成分がハンパない。それを健康な髪に使い続けていると、髪の毛は艶やサラサラ感を失わない。というのがわたしの勝手な持論で、30代の頃から「濃密うるおいナントカ」っていうものばかり使い続けてきた。美容院で一度聞いてみたことがあったけど、そういうシャンプーの使い方をするのはいいですよ、と言われたので、ますます「高保湿」とか「超補修」といった言葉に惹かれるようになった。

 

色々使ってみて正直思うのは、値段の高いシャンプー=良品とは、必ずしも限らないんだな。勿論高価なシャンプーやヘアマスクは、良品が多いに違いないのだけど、安価でお手頃価格のものでもコスパ最高のものもある。ダヴのダメージケアなんかそのいい例だ。マカダミアココナツオイルの香りがまた、お風呂の湯気の中で嗅ぐとうっとりする。仕上がりの指通りの良さとかサラサラ感、艶感なども文句なしだ。

 

モッズ・ヘアのこれも、わたし的にはかなりコスパ良しなのだ。

www.mods-style.com

出始めの頃は、ホットケアシリーズって確か、TSUBAKIと同じくらいの値段がしたと思うけど、何故か今はびっくりする程安くなった(嬉しい限りです)。近所のマツキヨとかサンドラッグに行くと、他のメーカーのより100円近く安く売っているので、わたしは見つけるといつも買ってきて、ストックしておく。ドライヤーの熱でダメージケアしてくれるって商品なんだけど、本当にくし通りがよくなってサラサラ髪になる。

 

うちの地元ではよく見かけるラックスやパンテーンのシリーズもよく買うけど、どれもみな、ダメージケア用のシャンプー、コンディショナー、トリートメントは優秀だ。ま、ヘアケア商品の好みは人それぞれにこだわりがあるけれど、わたしは安価な、ダメージヘア用のものを使うのが好きだ。

 

そしてドライヤーの最後には必ず、冷風を髪全体をあてる。こうすることで、キューティクルが髪に閉じ込められるんだそうだ。これも昔美容院で教わってから、ずっとやっている。この前ネットでも同じ記事を読んだ。

 

わたしのささやかな、髪へのこだわりの話でございました。

 

この前染めたアッシュグレーの色が、一週間を過ぎた今も残っていることに一人喜んでいる。年齢の割に白髪が少ないので、アッシュグレーに染めても下手をすると数日で色落ちしますよと美容院で言われ、覚悟していたのだけど、昨日外出先で鏡を見た時、うっすらと銀色に光る髪に小さくガッツポーズした。

80年代のファッション再燃?

最近街を歩いていると、よく見かけるMA-1。あれを着て歩いているお洒落な若い女の子を見た時、「わあ、これわたしが高校生の時流行ってたやつだ」と思った。随分懐かしいものを着てる子だなあ、個性的だなあと思っていたら、通りのあちこちにMA-1を着ている男の子、女の子がいた。

 

ギョギョギョ、もしかして今年の流行ファッションって、80年代の再燃なのかな?と、遅ればせながら思う。

 

もはやファッション雑誌を見ることもないアラフィフ女子は、流行りの服に疎い。ま、ガウチョパンツは、名前にパンチがあってすぐ覚えたので、夏には着ていたけど、今はもう飽きてしまって箪笥の中で眠っている。季節外れで冬に着られる生地でもないし。それに道行く人の殆どが、もう猫も杓子もガウチョだらけで、何だかみんなが同じに見えてしまった。その途端、若い頃からわたしの中に巣喰うアウトサイダー的本能が、わたしはわたしのコーデで個性を大切にしよう、とささやいた。

 

流行は巡るんだなあ。わたしが高校生の時、ラバーソールが流行っていて、わたしはアルバイトのお給料を殆どはたいて、29,800円もする高価なラバーソールを買った。当時、わたしや友人の間では『王道』だった、ドクターマーチンのラバーソールも勿論持っていた。という訳で、ラバーソールを履いて毎日登校していた(わたしの高校は私服で、勉強さえちゃんとしていれば多少奇抜なファッションや髪型をしていてもお咎めなしの、校則のゆるい自由な校風だった)のだけれど、そんなわたしを見てある日、父が言った。「お、ラバーソールか。懐かしいなあ」「え、パパ、ラバーソールなんて知ってるの?」「もちろん。パパも若い頃履いたもんだよ。流行は巡るんだねえ」こんな会話を交わしたのを覚えている。

 

流行というのは、およそ30年周期で巡ってくるものなのかな。勿論、わたしが10代の頃と比べると、今時のMA-1はカラバリも豊富だし、微妙にあの頃とは違うのだけど、やっぱり懐かしさを感じずにはいられない。ブルゾンに限ったことではないけど、今若い子達がしているファッションを見ていると、何とはなしにわたしの高校生時代を思い出すのだ。吉祥寺の靴屋でアルバイトをしながら、お洒落に興味があって、パンクロックが大好きで、イギリスで暮らしてみたいと夢見ていた頃。奇抜な服装で目立つことが好きだったくせに、好きな男の子には告白することも出来ないシャイな奴だった。ああ、遠い目。

 

最近、病院の行き帰りに渋谷を通る度に、こんなノスタルジアを感じながら、道行く若いお洒落さんの群れを眺めている。

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思い出の家具にさようなら

真冬がくる前に、部屋の模様替えが終わった。10数年ぶりに大々的な模様替えをして、今回は古くなって壊れた大きな鏡台も、使わなくなった机や本棚も、思い切って捨てた。

 

大きなライティングデスクは、小学校の入学祝いに両親が買ってくれた。当時両親は相当、わたしの為に奮発したのだろう。貧しい我が家には不釣り合いなほど、高価な机だった。新品の木製の机に座って、7歳のわたしは嬉しくて嬉しくて、算数や国語のドリルをやるのが好きだった。わたしには歳の離れた兄がいて、当時高校生の兄が勉強をしている姿がやけに大人に見えて、自分も大人の真似をしたかった。良くも悪くも思い出が多過ぎて、あの机を捨てるのが一番勇気が要ったけど、何日も悩んで結果的には、処分することにした。

 

業者さんが家具を引き取りにきてくれた日、わたしはトラックの荷台に積まれた思い出の家具に、業者さん達に気付かれないようにそっと手を合わせた。40年も昔から、当たり前のように家の中に馴染んでいた、大きな本棚、机。それから、二十歳の時に義姉から貰った鏡台。振り返ればこの鏡台とも30年の付き合いだった。名残惜しさはあったけれど、これら全ての家具に手を合わせ、心の中でありがとうを言って見送った。

 

家具を捨てたのは、部屋が手狭になっていたのと、5年前の大地震の教訓から、部屋に倒れる危険のあるものを、なるべく置いておきたくなかったからだ。現に机も本棚も、天井部分がもうひび割れていて、突っ張り棒で固定することも出来なかった。

 

家族の思い出が詰まった家具を捨てた日、両親の仏壇にも手を合わせて、父と母に感謝の気持を伝えた。ものはなくなるけど、思い出はずっと、わたしの胸の中に残る。楽しかった思い出も、辛い思い出も、全部。

 

家の中の大きな家具は殆ど捨ててしまったけど、母が最後まで大事にしていた箪笥だけは、残した。母が死んでからずっと、鳥部屋に放置して振り向きもしなかった箪笥を、わたしの部屋に持ってきた。お金も信頼も全てを失った、借金まみれの母が、最後まで手放そうとしなかった箪笥。母にとっては、亡くなった父との思い出が詰まった箪笥だったのだ。鳥部屋で長年埃をかぶっていたけれど、箪笥を丁寧に磨いて、それなりに見栄えも良くなった。箪笥の中は幸い、カビ一つ生えていなかったので、今はわたしの服を入れて、大事に使っている。上段の小さな引き出しには、父と母の、わずかばかりの遺品も入っている。

 

部屋を見渡す。空間が広くなった。四角い部屋の真ん中に、肌触りのいい、モスグリーンの布団をかぶったこたつが一つ。こんな質素な部屋だけど、ここはわたしだけの城。マグカップ、ちっちゃなお菓子の缶、額縁。高価なものは何もないけど、今のわたしにとって、気持が華やぐものだけが部屋にある。

 

こうして真冬を目前にわたしの城は、リニューアルオープンした。

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2016年、悲願のNikon Coolpix P610を買った

お題その2「今年、買ってよかった物」

今年買ってよかったものは、カメラ! これを買ったおかげで2016年、わたしの行動範囲は大分広がった。朝起きると天気をチェックして、「今日はカメラを持って何処へ行こう」と考えるのが、楽しい日課になった。朝日を浴びながら歩いていると、気持も前向きになった。素人の趣味ではあるけれど、カメラを持って歩くと、新しい風景見たさに、普段は動かない身体もずんずん前へ進むようになった(その結果股関節を痛めたけど、ネバマイ)。使えば使うほど、どんどん惹かれていくカメラ。安い買い物ではなかったけど、今年買ったものの中で一番よかったものです。

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回想 ~ ロンドン、ドラッグ、それから飛鳥

飛鳥、飛鳥、飛鳥(ASKAっていうのか、今は)。再逮捕からむこう、連日嫌になる程この名前を見聞きする。わたしはファンではないのでこの事件は鬱陶しく、テレビを見れば腹が立つ。本人は薬をやって、日頃のストレスや悩みから解放されていたつもりなんだろうけど、わたしは声を大にして言いたい。ストレスなんて、みんな持ってる。悩みだって、みんな持ってる。人知れず苦しんだり泣いたりしながら、みんなもがきながら一生懸命生きてるんだ、と。

 

『幸せとは、全てからの解放』だと、彼はブログに書いていた(と思う)けど、なんて幼稚で無責任な発想だろう。彼は薬によって自分一人が堕ちただけではなく、奥さんや子供さんや、家族も巻き込んで奈落の底に突き落とした。薬物中毒とは周囲の人達にも地獄のような苦しみをもたらす、恐ろしいものじゃないのか。そのことを彼は、分かっているんだろうか。彼を立ち直らせようと医療保護入院までさせた奥さんの心情は、察するに余りある。でも飛鳥はそれすらも裏切った。「自分は正常です。平常です」と繰り返し言っていたけど、ろれつの回らない文章の彼のブログを読んで「異常」だと感じたのはわたしだけではないはずだ。盗聴や盗撮の訴えも、わたしには未だに理解出来ない。とにかく、必死で夫を支えようとしてきた奥さんを、一度ばかりか二度も裏切り、家族をも巻き込んで不幸にした飛鳥を、わたしは人として軽蔑する。

 

どんなにヒット曲を作ったところで、彼の言う事、書く事はいつも、自分、自分、自分。自分の悩みの中に埋没しているだけで、他の気持を推し量る事など一度もない。彼のブログからは、身近な周囲の人達に対する思いやりの気持が読み取れなかった。全部読んだわけではないけれど、思い上がりも甚だしい、自分勝手な人だ。そんな印象しか持てない。

 

「そういえば飛鳥って以前、ロンドンに住んでいたよね」と、幼なじみからメイルがきた。それを読んで思い出した。わたしがロンドンで暮らしていた90年代にも、違法薬物の誘惑は身近にあった。当時の友人で、高校で物理の教師をしているイギリス人がいたのだけど、彼は時々週末になると、何処かから薬を仕入れてきて、皆に声掛けをしていた。わたしや幼なじみも、何度かドラッグ・パーティーに来ないかと誘われたことがあった。いいのが手に入ったと、彼は悪びれる様子もなく電話口で笑っていた。彼はごく普通の社会人で(教育者で)、裏社会とつながりのある人物でも何でもなかった。彼のお父さんは学者だったし、ごく普通の、もしくは、普通より少し上くらいの、ミドルアッパークラスの家の出だった。そんな人でも簡単にドラッグを入手して、表沙汰には出来なくても、別段大したことではないといった風潮、というか雰囲気に、わたしと幼なじみは驚いた。日本でドラッグと言えば「犯罪」なのに(イギリスでもそうだけど)、向こうの空気は何というか、日本に比べるとはるかに緩かった気がする。

 

確か当時、エクスタシーがロンドンでは流行していたと思う。エクスタシーの名前はよく聞いていた。でもドラッグ・パーティーに誘われる度にわたし達は、No thanksと言い続けた。その友人に限ったことではないけど、薬をやっている人は皆、ドラッグは煙草よりも中毒性が低いから大丈夫だと言っていた。それが本当なのかどうかは、ドラッグをやったことがないので分からないけど、「わたし達は煙草を吸っているだけで十分体に悪い事しているから、ドラッグは要らないよ」が、わたしと幼なじみのいつもの断り文句だった。

 

わたしと幼なじみが通っていた学校にも、ドラッグの誘惑はたくさんあった。わたし達と同じように語学を学びにきた日本人留学生の中には、興味本位で薬をやっている人達もいた。薬を始めると彼らは徐々に学校にくる日数が減っていった。そして中には、学校をやめてしまう人もいた。日本に帰国直前に、どうやって手持ちのエクスタシーを隠して持って帰ろうかと、悩んでいる学生もいた。イギリスだけではなくて、海外で暮らしたことのある人なら、何処の国でも似たようなことはあると思う。

 

飛鳥がロンドンでどんな風に暮らしていたのかは知らない。でもロンドンでは日常的に、日本よりもずっと身近にドラッグの誘惑があったことは事実だ。日本とは全く文化の違うイギリスでは、いいとか悪いとかではなく、ドラッグはある種、「暗黙の了解」みたいな空気があった。20代の頃のわたしも、それは肌で感じていた。ただわたしは、外国にいるという開放感から気持が大きくなって、道を踏み外していく日本人留学生を沢山見ていたので、彼らと同じようになりたくないという思いの方が強かった。だからドラッグには最後まで手を出さなかった。それだけだ。

 

わたしには、信仰する宗教がない。啓発セミナーに行ったこともないし、啓発本を読んだこともない。だから自分がこれまで経験してきたことでしか物事を測れないけれど、生きていく中で真実だと思っていることが三つある。それは

1) ついた嘘は必ずばれる

2) 他人を傷つけて、自分だけが幸せになる道はない

3) 過ちは、必ずそのツケを払う時がくる

 

これらは全て、わたし自身の過ちからから学んだ。色んな失敗を重ねながら生きてきて、この三つは事実だと、今は確信している。少なくともわたしは、これらから逃れ切って楽を出来たことは、一度もない。

 

飛鳥は今度こそ目を覚まして、真摯に罪を償うのだろうか。それとも、これからも、彼の言う解放の先にある幸せを求めて、さまよい続けてしまうのか。解放の先にある幸せとは一時的な快楽であって、幸せとは程遠いと思うのだけれど。

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