circaのブログ

ほんでもまんで生きとるわいね

股関節アルトロ検査終了 痛かった・・

今日の雪を見ながら二日前、季節外れの暖かさで19度もあったのは奇跡だったなあと振り返った。事前から「痛い検査」という前知識だけは持っていたので、検査日が来るのが怖くて仕方なかった。だから暦の上では小雪だった火曜日、あんなに晴れて暖かかったのはわたしにとって、不幸中の幸いというか、とにかく嬉しかった。

 

検査当日。噂に違わず、検査はえらく痛かった。検査着に着替えて検査台に横になると、看護師さんがお腹から下に毛布をかけてくれた。そして「ちょっと下着取りますね」と言って検査着(ジャージのズボン)と一緒にパンツをおろされた。毛布の下であらわになった箇所に、看護師さんが慣れた手つきで前張りを貼る。これははっきり言って、恥ずかしかった。だって周りで検査の準備をしているスタッフの大半は男性なのだ。まあ、あらわになったままよりは良かったかも知れないけど。

 

でも恥ずかしいなんて悠長なことを思っていられるのは、この一瞬だけ。検査が始まるや否や、恥ずかしいなんて感情は頭から吹っ飛んで、顔をゆがめ身体をよじって「痛い、痛い」を連呼するハメになった。こんなに痛い検査、生まれて初めて受けた・・・。特にわたしの場合、右足を真っ直ぐ伸ばしていなければならないのが、一番辛かった。だって夏からずっと股関節痛のせいで、未だかつて足を真っ直ぐ伸ばして横になれないのだから。

 

Facebookでも検査前に「怖いよ~」と泣き言を書いていたら、ニューヨークで線維筋痛症と暮らしている友人が何と、元レントゲン技師として働いていたことをカミングアウトして、この検査について詳しく教えてくれた。今は退職した人とはいえ、流石元医療従事者。説明は分かりやすいし、もの凄く的確だった。事前にわたしを怖がらせないよう言葉を選んで説明してくれたけど、検査後に再び話をしたら、このアルトログラフィーとかいう検査(つまり造影剤検査)、患者にとってはかなり不快なんだそうだ。彼女の原文ママの言葉で表現すると

 

’Unfortunately, the majority of radiographic procedures are TERRIBLY UNCOMFORTABLE.’

 

なんだそうだ。そしてその検査を受けたわたしは今、TERRIBLY UNCOMFORTABLEの本当の意味を知った・・・・・・ホント、たまらん痛みでした。特に検査前にすでに痛みがある場合、この検査は余計痛いんだそうです。は、ははは・・。

 

検査中、股関節内に圧をかけられるのだけど、これが身をよじる程痛い。空気を入れるんだったかな。それが余りにも痛くて涙と一緒に嗚咽が漏れた。こんなわたしを見て先生は二度も、局部麻酔を追加注入する羽目になってしまった。恐れ入ります。その後ストレス検査というのをされたのだけど、先生がわたしの足を持って、開脚したり曲げたりする度に、再びわたしは涙目になっていた~い、いた~いを繰り返した。

 

痛い痛いとしつこく書いてしまったけど、とにかく事前のMRI検査で見つかった右股関節に溜まっていた水は、無事に抜いて貰った。ただ検査が終わって二日が経った今、股関節の痛みはどうかというと、検査前と全く変わらないレベルで残っている。これがどうしてなのか分からず、新たな不安の種になっている。立ち上がるのも、歩くのも痛い。安静にしていても痛くて物事に集中出来ない。以前と同じレベルの痛みだ。これには先生も、首をひねっていた。

 

これまでわたしを診てくれていた整形外科のドクターが、来週、股関節の専門医に会って来て欲しいと言って、予約を入れてくれた。先生曰く、これだけ大掛かりな検査をしても(その前のレントゲンもCTもMRIも全部ひっくるめて)、目立って悪い箇所が見当たらないというのだ。悪い所が見当たらないのに股関節の専門医に会っても、特別に新しい情報を得られる気が、正直今はしない。何だかこれもまた線維筋痛症の痛みですと、言われるような気がしてきている。何か深刻な病気が見つかるよりも、線維筋痛症で片付けられる方が気が楽だと思う一方で、もしそうだとしたら、わたしの線維筋痛症は更に悪化したことを意味するんだな、と思う。それはそれでショックなのだ。

 

どんな結果が出るにせよ、心して受け止めていかなければならないのだけど、8月からずっと検査漬けで精神的な疲労が溜まっているし、安静にしていたって股関節の痛みは耐え難いし、これ以上歩行が困難になったらどうしよう、という不安が拭えない。

 

股関節痛。原因が分からないまま、4か月が経過した。

検査の痛みはたかが数十分の忍耐で終わるからいい(耐えられてなかったけど、わたしは)。やっぱり日々の痛みの方が、途方に暮れる。

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紅葉に降る雪

お題「紅葉2016」

 

東京では今日、54年ぶりに初雪を観測した。

おかげでわたしは今日、生まれて初めて紅葉が白く雪化粧するのを見た。

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11月の雪にやや興奮気味で、カメラを片手に今日は過ごした。

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こんな景色、見た事ないもの。

もみじが雪をかぶって、天然のクリスマスツリーがあちこちに出来上がっていた。

股関節アルトロという検査を受けることになった…逃げ出したい

散歩を始めた頃から痛み出した右股関節。初めは痛みが出たり消えたりといった感じで、あまり気にしていなかったのだけど、日を追うにつれて痛みが悪化。リウマチ科の主治医が紹介状を書いてくれて、同じ院内の整形外科で診察と検査を開始したのが8月。

 

あれから三ヶ月が経つけど、股関節痛は今や激痛の域で、じっと座っているのも辛くなってきた。先月のMRIの結果、右股関節に水が溜まっていることが分かった。そして明日、水を抜くのと同時に、股関節アルトロという、聞いたこともない検査を受けることになった。股関節に針を刺して、そこから造影剤を注入して調べるんだけど、ネットで調べるとこれが結構痛いらしい。説明を読みながら青ざめてきた。

 

今でこれだけ痛いのに、更に痛い検査をするのか…溜息が出る。股関節は深いんだそうだ。だから奥深くに針を刺すんだって…うっ、吐きそう。

 

とにかくまずは水を抜いて貰わないと、とてもじゃないけど歩けない。今はかろうじて歩いているけど、正直気合いだけで足を動かしているようなものだ。寝ていても股関節が痛くて目が覚める。最近は食べる意欲もなくなってきた。股関節だけじゃなく、今はお尻や腰の方まで痛みが広がってきた。整形外科で貰っているリリカを一日450ミリ飲んでも、股関節の激痛は全然楽にならない。ちょっと前までは一日300ミリで効いていたのに。

 

検査は痛いだろうけど、水を抜けば今よりマシになると信じて頑張ろう! と意気込むも、予報では明日も雨…くじけるわ。ただでさえ杖ついて、病院まで片道一時間半痛みに耐え、行き帰りだけでヘトヘトになるのに、雨降ったら空いた手で傘持たなきゃいけなくなる。こんな些細なことがわたしにはいつも、大きなハンデなのだ。ふっ、泣きたい。

 

明日は帰りに成城石井に寄って、ご褒美に大好きなチーズケーキ買ってこよう。カロリー気にせずガッツリ食べていい。わたしに許す。ケーキ2本買っていいよ。帰り何時になるか分からないから、時間に余裕持ってきてねとドクターに言われたけど(局所麻酔をかけるので、検査後すぐには足が動かないんだって)、成城石井が開いてる内に病院出られますように…!

 

検査/処置でこれ程ナーバスになるの、生まれて初めてかも知れない。せめて脱臼とかしていませんようにと祈りつつ、明日に備えてお風呂に入ってキレイにしとこう。明日の検査/処置後は、入浴禁止だそうだから。

 

痛みと疲れで食欲がない昨日、ジャンボプッチンプリンを食べた。有名店の高級プリンじゃないけど、昔ながらの懐かしい甘さに心が慰められた。明日は帰りに、ジャンボプッチンプリンも買ってこよう。これじゃ甘いものだらけになっちゃうかな。

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ワセリンって万能

こんなことオシャレ女子ならとっくに知っているんだろうけど、わたしはついこの前気が付いて感動した。それはワセリンの力。

 

その日は天気の良さにつられて、むしょうに外へ出たかった。けれど化粧をするのが嫌で、口紅だけ塗って出ればそれなりに見えるかなと思ったんだ。で、少し明るめの口紅を塗った。でも今度は、マットな仕上がりになった唇が嫌で、ワセリンを口紅の上から塗ってみた。

 

おお、唇がつやつやになった。口紅のマット感も消えて自然な潤い感が気に入った。

顔には乳液とUVクリームだけ塗って、すっぴんに口紅、仕上げに唇にワセリン。そんな格好で出掛けた。

 

地元の商店街を気ままに歩いてウィンドーショッピングをして、歩き疲れたらドトールで冷たいコーヒーを飲んだ。店を出る前にトイレに行ってビックリ。わたしの唇はまだつやつやが続いていた。アイスコーヒー飲んだのに、口紅が落ちていないばかりか、潤い感も続いている。家を出てもう2時間くらい経ったのに。うるつやのピンクの口紅のおかげで、わたしのすっぴんは余り気にならなかった。これは嬉しい誤算だった。気をよくしたわたしはその足で美容院へ行き、ヘアカットとヘアダイをして貰ってきた。行きは赤毛、帰りはアッシュグレーの髪色になった。

 

口紅ひとつで顔色がパッと明るくなる。

それにワセリンを塗ると、口紅の落ちが少なくなって、何時間経っても化粧崩れ(口紅崩れ)が起きない。いつまでもうるつやの唇が続く。

 

これからは外出の度に、口紅の上にワセリンを塗っていこう。

 

という訳で、今年の冬は奮発して高めのリップクリームを買ってみようと思っていたけれど、止めた。代わりにミニサイズのワセリンを買って、バッグに入れて持ち歩いた方がいいみたい。ハンドクリームにもなるし、顔が乾いたら顔にも濡れるし、髪型が乱れたらヘアクリーム代わりにも使える。

 

ワセリンの万能さに、今頃魅せられているわたしです。

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お金はコワイよ

コーヒーが切れたので、散歩のついでにスーパーに立ち寄った。パンも牛乳も残り少ないから買っていこうと思い、スーパーの中をのんびり歩いていた。

 

「おはようございます!」と、元気な声がした。顔を上げると、自治会役員のMさんが笑顔でこちらを見ていた。おはようございますと、わたしも笑顔で返す。お互いすっかり冬の装いだった。

 

今年は、自治会の役員をやっている。ここいらの住人が持ち回りで自治会を運営している。微力ながらわたしも、幾つかの自治会の仕事を掛け持ちでお手伝いしている。

 

昨年度から自治会の規約が変わって、役員に報酬が出ることになった。役員会に出る毎に、一回1,000円が支払われる。近隣住民の多くが高齢化して、そして集合住宅の在り方も随分と変化して、今では自治会役員をやりたがらない、或いは持病のために出来ない人が増えた。今季も、役員を決めるだけで3ヶ月もかかった。誰もやりたがらない自治会を円滑に運営する苦肉の策として去年から、完全ボランティア制を廃止して、わずかでも金銭を受け取れる報酬制になったらしいのだ。住民の猛反対があったものの、現会長はこの方針を貫いた。

 

そのおかげか、最近はいやいやでも役員達が会合に出てくるようになった。わたしは正直、報酬がなくてもいいと思っている。でも夏に、わたしと同じ考えの役員さんが報酬制に異を唱えて大騒ぎになったことがあった。自治会を昔ながらのボランティア制に戻してしまうと、役員達の多くははまた去ってしまうらしいのだ。で、わたしは沈黙して大多数の意見に従うことにした。それでもわたしは、役員全員が集まる会合の時しか報酬を受け取らないことにしている。自治会の仕事で一人で役所へ行ったり、自宅で文書作成などをする時の分は、請求しない。大した仕事量ではないので、いちいちお金を請求する気にもならないのだ。

 

思いがけず、最近この報酬制のせいで、思わぬトラブルが発生した。自治会の会長は、たとえ微細な仕事であっても、役員報酬として1,000円を幾度も請求して受け取っている。それに対して、自治会で一番仕事量が多くて長時間拘束されている役員には、仕事の大半を「ボランティア」として処理してくれと、会長から言われているらしいのだ。自治会役員達は皆、円滑に個々の任務をこなしていると思っていたら、実は報酬額の不公平で大もめしていた。会長だけが甘い汁を吸っているのはずるい。役員達の不満の種はこれだ。でも不満に満ちた役員達の話を、わたしは話半分で聞き流す。平静さを欠いた人の話はいつも、どこまでが本当か分かったものじゃないからだ。会長に特別な思い入れがある訳じゃないけれど、わたしはどちらの側にもつかず、黙って見ている。向こう三軒両隣って昔は言ったもんでね。そう言って笑っていた役員達は何処へ行った。今じゃ皆、鬼の形相じゃないか。勿論、そうじゃない役員もいるけれど。そういう人達はわたしと同じように、黙ってことの成り行きを見守っている。

 

お金は、誰だって欲しい。わたしだって欲しい。でもお金はこんな風に、トラブルのもとにもなり得る。だからやっかいなのだ。だからわたしは、自治会から最低限の報酬しか受け取らないようにしているのだ。それでもチクリと嫌味を言われたけどね。苦笑いしながら恐縮ですと、頭を下げてきたけれど。

 

昨日まで笑顔で井戸端会議に華を咲かせていた者同士が今日は、あなたの方が報酬が多いじゃないのと、嫌味とねたみに満ちたバトルを展開しているのだ。わたしの家の前で。聞くに耐えない罵詈雑言。罵り合う人達はゆうに70を越えた大人だ。ああ、大人なのは歳だけだと、心の中でつぶやく。お金が絡むと、70のお年寄りも手のつけられない子供のようになる。

 

コーヒーや牛乳の代金をレジで支払う。財布から1,000札を取り出しながら、心の中でわたしはまたつぶやく。『所詮はただの、紙切れなのにな』

 

ご近所に、お金の無心をすることで悪名高いMさんも、笑顔でスーパーを去って行った。

 

ああ、お金はコワイ。

お金を前にすると、どんなにいい人でも、その人の本質が見えてしまうから。

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久しぶりにブログを書く

なんだかとても久しぶりにパソコンに向かっている気がする。

ブログを書くのもどれくらいぶりだろう。

 

ここ暫くは持病の線維筋痛症が、坂道を転げ落ちるように悪化して、激痛の余り5分と座っていることが出来ない日々が続いていた。激痛のおかげで集中力も著しく低下。歩いている時もお風呂に入っている時も、「ああ、書き留めておきたいな、この思い」と思うようなことは多々あったのに(些細なこととはいえ)、スマホを手にする頃にはその思いを忘れてしまっていた。

 

季節の変わり目ゆえなのか、それとも50を目前に控えた微妙なお年頃ゆえなのかは、わからない。ただひたすら、痛みに耐えまくって生きている。9のつく歳って、なんだったかな、死ぬほど苦しむんだって。早生まれで今年48の同級生に、そう言われてガックリした。あの日はわたしの誕生日だったのになぁ・・。

 

ま、それが本当かどうかはビミョーだけど、確かにわたしの身体は相当ガタがきている。去年辺りから急にあちこちに出始めた。膝の半月板を損傷したのも去年だし(まあこれはアクシデントだけど)、今年は夏から向こう、股関節の激痛で歩行も困難になっている。明日、もう何度目か忘れてしまったけどまた検査だ。は~。加齢に対して何の抵抗もないわたしだけど、老い=体が弱っていく、という現実を受け止めるのは、ぶっちゃけ辛い。毎日のように「あれ、前はこんなじゃなかったのになぁ」と、ため息をつきながら寂しい一人言が増える。そんな哀れなわたしに、小鳥達がピヨ?ピヨピヨ?と相槌を打ってくれる。可愛いギョロ目インコ達のおかげで、わたしは寂しさも哀れな老いの現実もすぐに忘れ、小鳥達と一緒にヘラヘラ笑う。おめでたい人だとつくづく思う。

 

寒くなった。この数日でグッと、冷え込みが強くなった。

今夜も東京は、冷たい北風が吹いている。

 

全身が痛くて痛くて、涙が出るほど痛い。でも、先月ニトリで買った新しいこたつ布団の肌触りがよくて、わたしの好きな深緑が部屋の雰囲気を暖かくしてくれて、そんな些細なことが嬉しかったりする。こたつに潜って音楽を聞いたり映画を見たりしている時間が、今はとても好きだ。散歩は相変わらず続けているけど、今は散歩から帰るとシャワーに直行じゃなくて、こたつに直行している。

 

これだけ身体がズタボロでも、寂しさを感じないでいられるのは、周りにわたしを支えてくれている人達のおかげだ。友達や、お医者さん達や、介護ヘルパーさんや、色んな人達が、わたしの人生を可能にしてくれているのだ。

 

最近、痛みで涙が出る度に、よくそんなことを思う。

今夜は忘れないうちに、ここに書き留めておこう。

夜半、窓を開けると、もう冬の匂いがする。

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ハロウィンが来ると思い出すこと

10月に入ってFacebookの中は、ハロウィンの話題で盛り上がっている。海外の友達の話だけど、みんなハロウィンの夜はお菓子を用意して、仮装して家々を回る子供達に配ったり、家族で食卓を囲んだ後はホラー映画を見るのだそうだ。日本でもこの数年で随分とハロウィンが根付いてきたと思うけど、本場(って何処なんだろう。アメリカ?いや、ヨーロッパらしい)のハロウィンとはちょっと勝手が違うような気がする。少なくともわたしの家に、お化けの仮装をした子供が「Trick or Treat」なんて言って訪ねてきたことはない。

 

ハロウィンが近づくと、毎年のように思い出すことがある。笑うに笑えない悲劇、しかも実話だ。

 

当時わたしはまだ、ロンドンで学生をしていた。ある年のハロウィンの翌日、こんなニューズがロンドンのメディアを駆け巡った。それはアメリカに留学中の日本人学生が、ハロウィンの夜に銃で撃たれて死亡した、という事件だった。アメリカの何処の州だったかは忘れてしまったけれど、その日本人留学生はハロウィンの夜、他の友達と一緒に仮装して、ハロウィンパーティーへと向かっていた。欧米ではハロウィンの夜は、何処でもこんな風なのだと思う。ロンドンにいた頃は、わたしも毎年お菓子を用意して、お化けの仮装をした子供達がドアをノックして来るたびにあげていたし、あちこちでハロウィンパーティーもやっていた。わたしは、夜道が怖いのでパーティーへ出掛けたことはなかったけれど。

 

悲劇は、この日本人留学生がノックした家の家主と彼の、たった一言の「単語」の聞き間違いで起きてしまった。詳しいことは覚えていないけど、留学生は招待された家を間違えて、別の家のドアを開けてしまったのだと思う。とにかく家主は、扉を開けて玄関先に立っている留学生に銃を向けて、「Freeze (止まれ)!」と言ったそうだ。家主はこの留学生の仮装を見て、ハロウィンに便乗してやって来た強盗だと思ったらしい。処がこの学生は家主の「Freeze」を、「Please」と聞き間違えたらしいのだ。緊迫した状況でありながら、ニコニコ笑みを浮かべながら家主の方へ歩み寄った学生は、家主が何度か放った「Stop」の言葉も、ハロウィンの演出だと勘違いしてしまったのだろうか。とにかく彼は、胸を打たれて死んだ。これが「ネタ」なら笑ってしまいそうだけど、嘘みたいな本当の事件だった。撃った家主は、ごく普通の家庭の人だった。「Freeze」と「Please」の聞き間違い、そして家主の「止まれ」の忠告を無視し続けて家の中へ入って行ってしまった青年の間には、意思の不疎通による大きな隔たりが生じていた。家主は留学生を強盗だと思い込み、撃たれた留学生は家主のけんまくを、ハロウィンの演出と間違えたのか、或いは英語を全く理解出来ていなかったのか・・。とにかくこの、一瞬に解くことの出来なかった二人の誤解が、取り返しのつかない結果を双方にもたらしてしまった。そんな事件だった。

 

銃社会 - これが、わたしが留学先にアメリカを選ばなかった理由の一つなのだけど、文化の違い、言葉の壁というのは、人と人の間に大きな壁として立ち塞がる。時にはこんな風に、命の危険すら及ぶほどだ。銃社会のアメリカでは、他人の敷地に勝手に入ると、射撃の警告を受けるのが当たり前らしい。警告に従わなければ威嚇射撃、それでも相手がひるまなければ、最悪は銃殺されても仕方がない。それがアメリカ社会の「常識」なのだろう。英語が殆ど喋れなかったわたしにとってこの壁は乗り越えられそうもなかったし、何より恐ろし過ぎた。だからアメリカに行きたいと思ったこともなく、日本同様、銃社会とは無縁のイギリス行きを決めたのだった。でも実際に行って生活してみると、銃社会ではなくても、90年代のロンドンはすでに日本とは比べ物にならない程、犯罪の多い危険な街だったけれど。

 

海外で暮らしてみると、日本がいかに温室かが見えてくる。わたしも含めて日本人は、犯罪に対する危機意識が、とても低いと思う。帰国して20年以上が経った今は、再び見慣れた光景になったけど、電車の中で居眠りをしている人など、ロンドン時代には考えられないことだった。公共の場でそんな隙を見せたら、スリかひったくりに遭うのが当たり前の街だった。夜の10時過ぎに女性が一人で地下鉄になんか乗っていれば、強姦の危険がいや増してしまう。下宿先のお婆さんには、パブが一斉に閉まる11時過ぎには、絶対に外に出るなと注意されていた。11時を過ぎるとパブから出てきた酔っぱらいが、街中に溢れてくるからだ。そして酔った勢いで犯罪事件が多発する。11時半は、そういう時間帯だった。それがロンドンの「常識」だったのだ。

 

でもわたしも一度だけ、この「常識」から外れてしまったことがある。クラスメイト達との食事会の帰り、夜中の11時半に、一人で家路についていた。そして運悪く、泥酔した20代くらいの男の子達に後をつけられた。怯えながら急ぎ足で歩くわたしを見てげらげら笑いながら、彼らは持っていたビール瓶や火のついたタバコを背中に投げつけてきた。これ以上歩き続けるのは危険だから、目の前にあるガソリンスタンドに駈け込んで助けを求めようと思った矢先に、酔っぱらい達は消えていった。あれ以来わたしは一度も、夜道を一人で歩くことはなかった。帰りが遅くなる時はいつも、ミニキャブを呼んで、車で帰宅するようになった。

 

「常識」というのは、国によって全く異なる。日本では、財布を落としても他の国に比べたら、無事に戻ってくる確率がうんと高い。イギリスでそんなことをしたら、百発百中、財布が戻って来ることなんてない。ここは勿論、銃社会でもない。温和な人達が温和に暮らす「温室」育ちの日本人にとって、海外での生活は時に、想像以上にショックな出来事や、恐怖体験があったりするものだ。これだけ嫌な犯罪が多発している今の日本でさえ、欧米の「今」に比べたらやはり、温室であることに変わりはないのだと思う。夢や希望を持って海の向こうへ渡るのなら、まずは自分の身を守ることが最優先だ。その為にはとにかく、「郷に入っては郷に従え」なのだ。日本の常識を尺度に物事を考えると、あの事件ほど極端なことにはならなくとも、確実に誤解が生じると思うのだ。

 

アメリカの「常識」にまだ不慣れな青年だったのだろうか。英語を聞き間違えた故の、悲劇だったのかも知れない。東京で毎年ハロウィンの夜に、渋谷が仮装した若者達で埋め尽くされる映像を見る度に、何て牧歌的な夜だろうと思いながら、あの事件を思い出す。あの日本人青年の事件だけではなく、アメリカではハロウィンの夜に、恐ろしい犯罪や事件も多発するらしい。日本で暮らすわたしには海の向こうのハロウィンはよく分からないのだけど、あの事件を思い出すたびに、牧歌的とは程遠い想像をつい、してしまうのだ。

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