circaのブログ

ほんでもまんで生きとるわいね

わたしだけの場所

ビョーキを抱えて暮らしていると、やはり不自由はつきものです。

根性なしでへたれなわたしは、よく健常者だった頃の自分を思い出してしまうという、悪い癖があります。健常者だった頃の思い出が全て幸せなものだったかというと、即答でNOと言えるんですけれどね。

 

昨日のこと。

 

昔の会社の仲間がテニス会を催したので、見学に行きました。

テニス会は定例会のようなもので、年に2~3回あります。

テニスで汗を流した後は、みんなで行きつけの焼き肉屋さんで焼き肉を頬張るという、美味しい会でもあります。昨日皆と話していて気付いたのですが、この会はもう20年も続いていました! ←わたしも歳とる訳だよね・・。

 

わたしもかつては、皆とテニスを楽しんでいました。グループ内で一番下手だったけれど、テニスは見るよりもする方が何倍も好きでした。

 

でも今はもう、ラケットを振ることも出来ない身体です。

わたしはみんなのプレーを見学するだけです。

 

何年か前の夏、今でもはっきりと覚えているのだけれど、いつものように皆がテニスをしているのを見ながら、「ナイスショット!」とか「あ~惜しい!」と、掛け声をかけていた時のことです。頭の中は空っぽで何も考えてはいなかったのだけれど、急に涙がこみあげてきました。突然のことに自分でも驚いたのですが、何の涙だったかというと、悔し涙だったのです。

 

みんな楽しそうに笑いながら、コートの中を走り回っていて、ボレーを決めてガッツポーズをしたり、サーブが決まって喜んでいます。でもわたしはもう二度と、彼らと一緒にテニスをすることが出来ないんだと、その時思ったのです。そうしたら、みんなの輪に入れない寂しさと、自由に動かない自分の身体が悔しくて、涙があふれてきたのです。

 

プレーを楽しんでいるみんなの笑顔を台無しにしてはマズイ!と思い、即座にわたしはベンチを立ち、コート裏でタバコを吸って気持を落ち着かせました。見学要員とはいえ、みんなの輪から突然外れて、協調性のない奴だと思われたかな。でもあの時のわたしにはそうするよりほか、術がありませんでした。わたしの悔し涙は、どうしてもみんなに見られたくなかったのです。そしてみんなの笑顔を曇らせることは、どうしてもしたくなかったのです。

 

あれ以来、みんなのプレーを見るのが、少し辛くなりました。気の置けない仲間たちなのに。

 

昨日もそんな思いをするんだろうなと思ったら、出掛けるのが少し憂鬱になりました。加えてこの数日、身体の痛みでよく眠れていないわたしは、支度をするのにも何時間もかかる始末。結局大遅刻をして、みんなのプレーは余り見られませんでした。わざと遅刻したのではないのだけれど、40分くらいコート横のベンチに座っているだけで済んだのは、正直気持が楽でした。

 

でもテニスが終わった後、いつもの焼き肉屋さんへ行って、みんなと一緒にカルビだのハラミだのを頬張れば、わたしの憂鬱など全部吹き飛んでしまうのだけれど。我ながらゲンキンな奴です。

 

夜家に帰って部屋の電気をつけました。小さなわたしの部屋がオレンジ色の明かりに照らされて、飲みかけのコーヒーや、出掛ける直前まで寝ていた枕が、目に飛び込んできました。散らかっている部屋。ああ片付けなきゃ。そんなことを思いながらも、何だかホッとして、肩の力がふっと抜けました。住み慣れた我が家へ戻った安堵感もあったのだけれど、それ以上に、ああやっと一人になれたと、ホッとしたのかも知れません。

 

わたしの変な歩き方。背筋をピンと伸ばして、姿勢よく歩いてみたい。けれど、絶えず全身を刃物でえぐられるような痛みが、わたしの姿勢を前かがみにします。時には痛みの余り身体をひねったりします。足はもつれ、いつもびっこを引き、時にはズルズルと引きずるように歩きます。こんな風にしか歩けないわたしは、人と一緒に歩くのも、ちょっとだけ辛い時があるのです。

 

仲良しの友人たち。気の置けない仲間たち。その誰と会うことも、わたしにとっては何よりの楽しみです。本当に、楽しみです。けれど同時に、少しだけ辛く感じられるのもまた事実です。わたしの格好悪い姿を見られたくない気持と、みんなに迷惑をかけたくない気持と、色んな思いがごった混ぜです。人と会うのは大好きなのに、それとは矛盾した苦い、ちょっとだけ悲しい気持も、心の中にあるのです。

 

わたしは物心がついた頃から、この家を好きだと思ったことは一度もありませんでした。若い頃は早く家を出て独立したいと、そればかり考えてきました。20代の一時期は、この家から離れて暮らしていました。そして30代になると、この家が怖くて怖くて、逃げ出したいと、そればかり考えていた時期もありました。

 

なのにわたしは今も、この家に住んでいます。そして皮肉なことに、あれだけ嫌いだった筈のこの家が、今はわたしにとって一番居心地のいい場所に変わりました。ここはわたしが一人に戻れる場所。足を引きずって廊下を歩いても、痛みのあまり涙を流しても、誰もわたしを見ていません。

 

一人を、寂しいと思うこともあります。でもこの家は今は、わたしが誰に見られることもなく、ひっそりと泣ける場所、隠れ家でもあるのです。

 

ちょっとだけビターな気持と、その反対にみんなと笑った楽しい時間。一夜明けた今日は、楽しかった時間の方が心の中に大きく残っています。昨夜食べたテグタン温麺美味しかったな、なんて思いながら、今日はまた一人の時間を、わたしだけの場所で楽しんでいます。蝉の鳴き声を聞きながら、静かな時間が流れています。

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