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circaのブログ

ほんでもまんで生きとるわいね

人の生き死にについて

日常 思うこと

夕方、いつものようにラジオをつけると、リクエスト曲が一曲かかりました。リクエストを送ったリスナーからのメイルは、とても悲しい内容でした。その人の友人が脳腫瘍で、今まさに危険な状態なのだそうです。今夜の番組が始まる頃、彼の友人がまだこちらの世界にいるかどうかさえ、危ぶまれる程だそうです。DJさんがそう読み上げて、ラジオから流れてきた曲がこれでした。

 

www.youtube.com

 

わたしはこの曲を知らなかったので、歌詞を検索してみました。

まさに人生最後の時を思わせるような、悲しい曲でした。

 

'Any day now, any day now, I shall be released'

 

『もうじき もうじき わたしは逝くよ』

そんな風に解釈しながら聴きました。

 

この歳になると、旅立つ人を見送る機会が少しずつ増えてきます。人の死は、何度見送っても慣れることはありません。わたしはうろたえ、心は乱れ、深い悲しみを繰り返すばかりです。友人・知人のわたしがそうなのだから、ご遺族の悲しみは、わたしの想像を遥かに超えた、深い淵ににあるでしょう。

 

二年前、友人の旦那さんが癌で亡くなりました。学生時代の友人たちが結婚ラッシュだった頃、留学中で日本を留守にしていたわたしは、余り友人の結婚式に出席した思い出がありません。周りに結婚・出産を経験した友人が少なかったせいもあるのですが、彼らの結婚式はそんな数少ない経験の一つでした。幸せに満ちた新郎新婦を古くからの友人たちと共に祝いました。式の間中照れくさそうに、幸せに満ちた笑顔でわたし達に気さくに接してくれた彼と、その後20年と経たない内にこんな形で再会するなんて、あの日結婚式に出席した誰もが、予想だにしませんでした。棺の中で物言わぬ姿で横たわる彼の姿を見た時、わたし達は皆、言葉を失いました。20年前、わたし達は若くて健康で、大病とは無縁なことが当たり前のように生きていました。自らの死など本気で考えたことすら、ありませんでした。

 

未亡人となったわたしの友人の生活や人生がその後、大きく変わってしまったのは言うまでもありません。両親を亡くしているとはいえ、結婚をしたことのないわたしには、若くして未亡人になった彼女の悲しみや辛さが、分かるはずもありません。わたしに出来ることはただ一つ、彼女が話したくなった時に、彼女の話に耳を傾けることだけ。彼女の思いを受け止めて、ただ頷くことだけです。それしか出来ません。

 

一昨年は、他にも不幸がありました。わたしが昔会社でお世話になった上司の奥さまも亡くなられました。亡くなった奥さまは、わたしと同い年でした。

 

一昨年の不幸があってから、わたしの周囲では、わたし自身も含めて、随分と人の生き死にに対する意識が変わったように思います。近しい人との別れを通じて、わたし達が身をもって教わったことは、わたし達もいつかは死ぬってことです。当たり前のことなのだけれど、それまで何処か他人事で、自分とはまだ無縁のものだと信じたかった『死』が、急に身近に迫ってきたことです。

 

死を以前より身近に感じるようになったからと言って、毎日そのことを念頭に置いてわたしは生きているだろうか。そう自問すると、答はNOです。『今日が人生最後の日だと思って、精一杯生きてみよう』なんて自分を鼓舞する日もあります。でもそれはほんのたまにです。わたしの日常の殆どは、昨日とさほど変わり映えのない今日です。今日が昨日と同じ日じゃないことは分かるけれど、日一日と自分が死へ向かって生きているなんて実感は、時間の経過と共に薄れていきます。或いは意識して、考えないようにしているのかも知れません。

 

今夜かかったリクエスト曲が、耳から離れなくなってしまいました。

ラジオを聴く日しか開かないTwitterに今夜、こんなつぶやきがRTされてきました。

 

そうだ、寝ちまおう。