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circaのブログ

ほんでもまんで生きとるわいね

差別

Twitterでどこぞの市議がLGBTの人たちを差別する発言をしたらしい。わたしはTwitterを覗きに行くことが滅多にないから知らなかったのだけれど・・とんでもない輩だ。

 

幼なじみからメイルが来た。仕事で差別を受けているらしい。彼女の場合は人種差別で、これもタチが悪い。彼女を差別しているのは、アメリカ人だという。相当ないじめに遭っている様子と、彼女が精神的に参っている様子が、長いメイルの文面から読み取れた。異国の地で暮らす外国人の苦労を、差別されることの辛さを、わたしはわたしなりに知っている。返事の最後に「堂々と胸を張っておいで」と書いた。その後彼女から、少し明るいトーンの返事が来た。

 

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以前書いたけれど、わたしがイギリスにいた頃付き合っていた人はイギリス人だった。彼のご両親は戦争体験者で、大の日本人嫌い。これまでの人生の中で、数少ない(けれど一応あった)結婚の機会を逃した最初の理由は、わたしがジャップだったからだ。若さゆえの怖いもの知らずと情熱で、国境も文化の違いも何もかも、乗り越えられると信じて疑わなかったわたしの、あれが最初の大きな挫折だった。「違い」を受け入れられない人や、消し去れない過去の憎しみを抱えた人が世の中にはいると思い知ったのが、わたしの25歳だった。

これも以前書いたけれど、わたしのゲイの友人は、33歳で死んだ。同い年の友人だったのに、わたしだけ随分と歳をとってしまった。ゲイであることをカミングアウトしてから、彼は職を失い、家族に見放され、友人の多くを失った。そして彼はスイスの田舎町を、追われるように出ていった。それから僅か数年で、彼は逝ってしまった。都会での生活は、彼にゲイとして生きる自由を与えてくれたかも知れないけれど、慣れない土地での暮らしは同時に、孤独だったろうと思う。エリート銀行員の肩書を捨てて、晩年の彼は大きな精神科病院で、看護師の仕事に就いていた。

 

1月の寒い晩、幼なじみと二人で雪道をひたすら歩いて病院を訪ねたことがあった。スイスを旅行中だったわたしたちは、誘われるままに夜勤の彼に会いに行ったのだ。雪まみれで病院に着いたわたしたち二人を、彼は笑顔で迎えてくれた。深夜のナースステーションで、三人で熱いコーヒーを飲みながらお喋りをしていたら、患者の一人が眠れないと言ってやって来た。彼は穏やかな口調で、その患者の肩に手を回しながら部屋を出て行った。廊下でドクターを待つ間、何かに怯えている患者の話を一心に聞いていた、友人の後ろ姿を思い出す。ドイツ語だったので何を話していたのか分からなかったけれど、「心に深い傷を負った患者さんなんだ」と、後で彼が教えてくれた。

 

彼は死の直前まで、社会的弱者のために尽くし働いた。そんな彼のことを思い出すと、今でもやりきれない思いで一杯になる。彼の生前、最後に会ったあの雪の夜に、彼がわたしに言ってくれた言葉が今も耳に残っている。『きみが心から愛した人のことを悪く言いたくはないけれど、きみをジャップ呼ばわりした彼の両親のことを、そしてきみをこんなに悲しませた彼のことを、ボクは許せない』

彼はわたしの心にも、いつも寄り添ってくれていた。

社会的地位のある市議が、公然と社会的弱者を差別する。白人が、有色人種を差別する。こういう話に触れると、怒りがこみ上げてくる。そして今はもういない、遠い友人を思い出す。彼もまた差別され、社会から排斥された一人だったから。でも彼は、相手が誰であれ、人の痛みに最後まで寄り添って生きた。差別されることの痛みや苦しみを、誰よりも知っていた人だった。彼の友人でいられたことを、わたしは今でも誇りに思う。

 

生きていれば誰でも、心に傷の一つや二つはつく。でも自分の痛みには敏感なのに人の痛みには鈍感な人も、世の中にはいる。そんな寂しい人にはなりたくないと、わたしは改めて自分を律する。

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