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circaのブログ

ほんでもまんで生きとるわいね

24時間の喜怒哀楽

一日の中にも喜怒哀楽はある。

 

「今日はツイていない一日だったな」と、夜眠る前にため息をつくような日でも、自分の感情の動きをよーく観察していると、案外笑っている瞬間があったりする。ツイていない日は、ツイていないことの方が多過ぎて、そっちが優先的に記憶に焼きついてしまうので、ほんの一瞬笑った自分を、わたしは大抵忘れてしまう。でも、本当に「ツイてないことだけ」の一日ってのは少ないんじゃないかと、最近よく思う。

 

今日のわたしの喜怒哀楽は例えば:

喜) 図書館で本を借りた。本を選んでいる時、内心子供のようにワクワクした。読みたい本があり過ぎて嬉しかった。

梅の花が咲いていた。

怒) どこぞの国がミサイルを発射。日曜の朝の穏やかな雰囲気が吹っ飛んだ。速報を見ながら、この前読んだ人類滅亡までの「終末時計、残り3分」の記事を思い出して、怒りを通り越してうすら寒い思いさえした。

哀) 放鳥中に地震があって、小鳥たちの怯えた顔を見たら切なくなった。

楽) その小鳥たちと、思い切り笑って遊んだ。

 

ざっとこんな具合だ。我ながら余りにフツーの一日で(ミサイル発射以外は)、記録しておく必要もないのでは? と思う程だけれど、こんなたわいもないことを最近よく、手帳に書き記しておく。こんな一日は、過ぎればあっという間に忘れてしまうだろうし、忘れてしまってもいいのだけれど、わたしが覚えておきたいことはつまり、「人生と同じで、一日の中にもいいことと悪いことが入り混じっているモンだな」という事実だ。瞬時に感じる喜びの感情は、わたしはすぐに忘れてしまう。だから書き留める。嫌なことは書かなくても記憶に残る。凹みから抜け出せない時に、更に下へ落っこちて行かない為には、こんな小さなミクロ単位の「嬉しかった出来事」や「楽しかった瞬間」が、わたしの場合結構役に立つ。どうもわたしにとって幸せっていうのは、瞬時に過ぎ去って行くものらしい。だからそれを忘れないように記録して、かき集めて生きている。

 

鬱は厄介な病気だ。でも、ミクロ単位の楽しみや幸福感はあなどれない。ミクロも積もり積もると、わたしにとって本当の幸せは何かということが見えてくる。病気が心をぐらつかせても、自分で自分を楽しませる術を覚えると、それはわたしの中の強さになる。それでわたしが強く揺るぎない人になれたかというと、現実はそんなに甘くはないのだけれど。

 

今日は久しく会っていない友人に、手作りのフォトカードを投函してきた。友人のことを思いながら、一語一語丁寧に書いて送った。これも今日の喜びの一つだった。