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circaのブログ

ほんでもまんで生きとるわいね

科学的に証明されていなくても不幸になること

今朝読んだネットニューズに、これをすると不幸になると、科学的に証明されている行動についての記事があって、興味深く読んだ。ああそう、その通りだわと、コーヒーを飲みながら頷いた。

 

あった、この記事だ。

www.lifehacker.jp

SNSの見過ぎ、やり過ぎは、人を抑うつ状態にさせるというのは、前から知っていた。で、偶然だけど今朝寝起きに、携帯端末から、Facebookのアプリを削除してみようかと思っていたところだった。Facebookはまだしも、メッセンジャーが最近とにかくうっとうしくてたまらない。アメリカやイギリスのネット友達から、チェーンメイルがじゃんじゃん入ってくるのだ。みんなわたしと似たり寄ったりのいい歳なのに、5分以内に10人の友達にこの意味のないメイルを送らなければ、本当に不幸になると信じているのだろうか。目くじら立てて怒る程のことでもないので、わたしは黙って既読スルーを貫いているのだけど、相手は空気を読んでくれる気配なし・・・・・。

 

で、メッセンジャー削除しちゃおうかな、と。

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この記事には書いてないので、これは科学的に証明されるモノじゃないんだろうけど、わたしが「これをやると人は不幸になる」と思っていることがもう一つある。それは、嘘をつくことだ。

 

昨日だか今朝、TVでよく見かけていた経営コンサルタントのあの人が、学歴詐称で全番組降板とかいうニューズを見た。ショーン某という彼は、理路整然として無駄のない語り口で、話が分かりやすくて良かったのだけど。かと言ってファンという訳でもなかったので、バッシングする気はさらさらないが、テレビの表舞台に立つコメンテーターが学歴詐称をしていたというのは、当然のことだけど間違っている。やり手でインテリの彼は、一つの嘘が致命傷になって、たった一夜でテレビから姿を消してしまった。

 

最初から嘘なんかつかなきゃ良かったのにと思うけど、彼に限らず嘘つきというのは、世の中に案外いる。嘘で自分を飾り立てて生きてる人達は、どうぞご自由にと放っておくしかないのだけど、生きづらくないのかなあ?というのが、わたしの素朴な疑問だ。

 

嘘は、自分をよく見せたいとか、苦し紛れだとか、理由が何にせよ一瞬でつける。でも一つ嘘をつくと、それを隠す為に二つめの嘘、三つめの嘘と、徐々に嘘の上塗りをする羽目になる。そうすると、どれ程記憶力のいい人でも、大抵自分のついた嘘の一つや二つは忘れる。そして、いつか嘘がバレる。嘘は必ずバレる宿命にあるのだ。バレたら最後、嘘をついた側は、周囲から責められるのは必至だ。断言してもいい。嘘は必ずバレる。わたしがこれまでついた嘘は、百発百中、バレた。わたしは嘘が下手な訳じゃない(と思う)。人並みに、ポーカーフェイスで嘘をついてきたつもりだ。でも三十路を過ぎた時、わたしは嘘をつくのを止めた。嘘をつくのは疲れるのだ。その場しのぎで嘘をつく時は楽なんだけど、問題はいつもその後だった。まず、自分がついた嘘を覚えていなければならない。そして一つ嘘をつくと、つじつまを合わせる為に、更に嘘をつかなければならない。大抵そういう状況に追い込まれるのだ。そして嘘の上塗りという、望んでもいない悪循環に陥るのがオチだった。で、気が付けばわたしの神経は疲弊していた。

 

窮地を逃れたい一心で、小さな嘘の一つもつきたくなることは、正直今でもある。でもここで踏み止まらないと、また嘘の上塗り地獄にまっしぐらだ。そうなるともう、心の平安とか幸福感なんてものを、感じる余裕すらなくなってしまう。嘘は、自分で自分の首を絞めながら生きるようなものだ。ならば今ここで、目の前にいる友人の逆鱗に触れようが、潔く自分の非を認めて頭を下げて謝ってしまおう。怒られるのは嫌だけど、自分で自分の人生をややこしくして生きるよりはマシだと、心底思ったのだ。以来わたしは、単純明快に生きている。楽だ。ああ、楽だ。

 

嘘をつくのを止めると、要らぬことをいちいち記憶しておかなくて済む。本当のことっていうのは、意識的に記憶しておく必要もない。事実は、単純明快なのだ。嘘は、複雑怪奇だ。そして、自分のことも相手のことも傷つけるのが、嘘だ。

 

短大時代の同級生に、嘘に嘘を重ねて結婚した人がいた。年齢と学歴と家柄を偽って理想の玉の輿婚を果たした彼女は、有閑マダムな日々を送っていると聞く。今も対外的にはリア充を匂わせているらしいけど、実は満たされない日々に、悶々としているらしい。

 

CMのコピーそのまんまだけど、先輩、面倒くさいの、止めません?