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circaのブログ

ほんでもまんで生きとるわいね

命日を前に

友人の旦那さんの命日と、別の友人のお父さんの命日が奇しくも同じ日。

明日は二人の命日だ。

 

47歳で旦那さんを亡くした友人にとっては、あの日から三回目の夏が来た。

この時期、仏前にお参りをと、旦那さんの会社関係の人達の訪問が後を絶たず、フルタイムの仕事をこなしながら、大勢の接待に追われている友人。疲れもピークみたいだ。

彼女と親しい友人達はわたしも含め、この時期は敢えて訪問を控えている。しっかり者の彼女とはいえ、接客や何かでこれ以上心労をかけたくないからだ。三年経っても愛する人の死から立ち直っていない彼女が、気丈に作り笑いをして来客をもてなす姿は、今も痛々しい。旦那さんのお墓参りは、大勢の会社関係の人達が去った後に、彼女に負担をかけないように形式ばらず、カジュアルな形でさせて貰おうと思っている。

 

命日を前に花を送ろうと考えたけれど、これも彼女にとってはかえって気を遣わせてしまうのでやめた。身体を壊して仕事もないわたしと、正社員として復職を果たしたとはいえ、お給料は二十代の頃とは比べものにならないと嘆く友人。互いの状況をお互い熟知しているので、わたしは先週、花の代わりに手作りのカードを送った。彼女の為に一言ずつ言葉を選び、写真を選び、ほんの一瞬でも彼女の心が和らいでくれればと思いながら手作りした。

 

彼女からそのお礼が昨日、ライン経由で届いた。

「この時期に、温かい気持を寄せてくれてありがとう」と書いてあった。

まだまだ気持がぐらついて辛いとも、書いてあった。

人が一人亡くなるというのはこういうことなんだなと、改めて思う。

深すぎる悲しみは、今も彼女の心を覆っている。

「今は辛過ぎて電話も出来ないんだ、ごめん。落ち着いたらまた改めて連絡するから」

うん、そうしようねと返信しながら、母が亡くなった頃の自分と、今の彼女の姿が、少し重なって見えた。

 

悲しみが深過ぎて人と話が出来ない彼女を、今はそっと遠くから見守っていよう。そして彼女が話し相手を必要とした時は、静かに彼女に耳を傾けよう。その為にわたしは、今日も幸せを感じられる人でいよう。人助けは、自分の心に余裕がないと出来ない。少なくともわたしはそうだ。自分が何かに落ち込んでへたれている時は、人の話に耳を傾けることも難しくなってしまうのだ。

 

自分が笑って暮らしていることが結局は、わたしを取り巻いてくれている友人達にとってもいいことだと、わたしは思うようになった。何年か前、親しい友人の一人に、「◯◯ちゃんが暗い顔してたら、わたしは自分の悩みを打ち明けられないよ」と言われたことがある。暗い顔をしている◯◯ちゃんに、相談事なんて話す気になれないよ、と。わたしはハッとした。わたしが辛い、苦しいとうつむいているだけで、こんなにも周りの人達に気を遣わせて、沈黙させてしまうのだと、気付かされた。

 

だからわたしは今日も笑う。わたしが小さな幸せを感じるものを探しながら、今日も歩く。愛想のない猫に声をかけて、土から出てきた蝉の抜け殻を葉の裏に探しながら、自分の歩幅で歩く。いつか友人がわたしを必要としてくれた時、隣に腰かけて彼らの話に耳を傾けられるように。

 

友人の心の痛みを思いつつ、真っ青な空に浮かぶ綿菓子みたいな雲に心を奪われた。

 

今日も暑くなりそうだ。

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