circaのブログ

ほんでもまんで生きとるわいね

小鳥の死を乗り越える

たかが小鳥

されど小鳥

ナツが死んで以来、何をしても心から楽しめなくなった。

いい歳をして、と思うけど

いや歳なんか関係ないんだ、と開き直って、ナツ、ナツ言いながらめそめそする。

そんな日が続いていた。

 

散歩は、二日に一回のペースに落とした。先月受けた三つの検査の内、頚椎と背骨~腰は問題なかったのだけど、右股関節だけ引っかかったからだ。重症じゃないんだけど、歩くととにかく痛むし、家の中で歩いていても股関節がポキポキ鳴る。鳴る度にイタタ・・と立ち止まって前かがみになる程痛いので、無理をせずに軽い運動を続けてくださいと、かかりつけの大学病院で言われた。来月もう一度診察があって、場合によっては更に精密検査になる。軟骨がすり減って萎えた膝同様、股関節も加齢によるものなんだろうな。 くどいけど、寄る年波には勝てないんだな、これが・・・。気持は若いつもりなんだけど、身体は正直よ。

 

昨日は休んだので、今朝は散歩に行った。いつものようにカメラを首から下げて、今はもう夏の頃と違って、七分丈のパンツを履いて出掛ける。短パンではちょっと肌寒い季節になってきた。

 

ああ、ナツがいない世界なんて・・と嘆きながらも、歩いていると色んな出会いがある。そんな出会いに気が向くようになったのも、ここ数日のことだ。ナツが死んで以来、散歩の途中で何を見たとか何を撮ったとか、全く記憶に残っていないのだ。情けないほどに。

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今朝は、何か獲物でも狙っているんだろうか。そんな雰囲気のニャンコに出会った。

新しい苗を植える農家の人達の苦労をよそに、ニャンコ四兄弟(四匹もいた!)は無情にも苗を踏んづけて歩いていた。思わずブフッと吹いた。

 

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四兄弟の内二匹は、わたしがカメラを向けた途端にスタタタ!と走り去ってしまったけど、狩人猫ともう一匹は何とかカメラに納まってくれた。しかも意外とこのニャンコ、イケメンだったりする。それとも女の子かな。

 

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でもって、フォトジェニックだったりする。ちょっとナルちゃんぽい、流し目のニャンコに一目惚れした。

 

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キンモクセイの香りをくんくん嗅ぎながら歩いた。秋の香りがした。

 

今日は本当に久しぶりに、夢中になって写真を撮りながら歩いた。

 

小鳥の死と人間の死を、両方見送ってきた。命の重さは皆一緒だとわたしはよく言うけれど、正直悲しみの度合いは、人間と動物では大きな開きがある。矛盾したことを言うけれど、わたしの経験ではそうだった。人一人死ぬということは、とてつもなく大きな出来事だ。動物の死だってとても悲しいけれど、人間より寿命が短いせいなのかな。うまく言えないけど、親の死を看取った時よりは、悲しいとはいえ今のわたしは元気だ。

 

それでもナツは、わたしにとって特別な小鳥だったから、忘れられる筈もないし、これから先もずっと、わたしの中で生き続けるだろう。悲しい反面、天国へ旅立った他の小鳥達同様に、ナツはわたしの心の中で永遠に生き続けるんだという安堵感も、わたしの中に芽生え始めている。ハル子と同じように、あの子はわたしの心の少し特別な場所で、生き続けてくれるだろう。

 

わたしの秋は、こんな風に始まった。

 

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今ナツはきっと天国で、ナツの初恋の、そして最初のお嫁さんだったハジメと一緒に、仲良く寄り添っていてくれるだろう。あの子はもう、寂しくはないだろう。この頃ようやく、そんな風に思えるようになってきた。