circaのブログ

ほんでもまんで生きとるわいね

回想 ~ ロンドン、ドラッグ、それから飛鳥

飛鳥、飛鳥、飛鳥(ASKAっていうのか、今は)。再逮捕からむこう、連日嫌になる程この名前を見聞きする。わたしはファンではないのでこの事件は鬱陶しく、テレビを見れば腹が立つ。本人は薬をやって、日頃のストレスや悩みから解放されていたつもりなんだろうけど、わたしは声を大にして言いたい。ストレスなんて、みんな持ってる。悩みだって、みんな持ってる。人知れず苦しんだり泣いたりしながら、みんなもがきながら一生懸命生きてるんだ、と。

 

『幸せとは、全てからの解放』だと、彼はブログに書いていた(と思う)けど、なんて幼稚で無責任な発想だろう。彼は薬によって自分一人が堕ちただけではなく、奥さんや子供さんや、家族も巻き込んで奈落の底に突き落とした。薬物中毒とは周囲の人達にも地獄のような苦しみをもたらす、恐ろしいものじゃないのか。そのことを彼は、分かっているんだろうか。彼を立ち直らせようと医療保護入院までさせた奥さんの心情は、察するに余りある。でも飛鳥はそれすらも裏切った。「自分は正常です。平常です」と繰り返し言っていたけど、ろれつの回らない文章の彼のブログを読んで「異常」だと感じたのはわたしだけではないはずだ。盗聴や盗撮の訴えも、わたしには未だに理解出来ない。とにかく、必死で夫を支えようとしてきた奥さんを、一度ばかりか二度も裏切り、家族をも巻き込んで不幸にした飛鳥を、わたしは人として軽蔑する。

 

どんなにヒット曲を作ったところで、彼の言う事、書く事はいつも、自分、自分、自分。自分の悩みの中に埋没しているだけで、他の気持を推し量る事など一度もない。彼のブログからは、身近な周囲の人達に対する思いやりの気持が読み取れなかった。全部読んだわけではないけれど、思い上がりも甚だしい、自分勝手な人だ。そんな印象しか持てない。

 

「そういえば飛鳥って以前、ロンドンに住んでいたよね」と、幼なじみからメイルがきた。それを読んで思い出した。わたしがロンドンで暮らしていた90年代にも、違法薬物の誘惑は身近にあった。当時の友人で、高校で物理の教師をしているイギリス人がいたのだけど、彼は時々週末になると、何処かから薬を仕入れてきて、皆に声掛けをしていた。わたしや幼なじみも、何度かドラッグ・パーティーに来ないかと誘われたことがあった。いいのが手に入ったと、彼は悪びれる様子もなく電話口で笑っていた。彼はごく普通の社会人で(教育者で)、裏社会とつながりのある人物でも何でもなかった。彼のお父さんは学者だったし、ごく普通の、もしくは、普通より少し上くらいの、ミドルアッパークラスの家の出だった。そんな人でも簡単にドラッグを入手して、表沙汰には出来なくても、別段大したことではないといった風潮、というか雰囲気に、わたしと幼なじみは驚いた。日本でドラッグと言えば「犯罪」なのに(イギリスでもそうだけど)、向こうの空気は何というか、日本に比べるとはるかに緩かった気がする。

 

確か当時、エクスタシーがロンドンでは流行していたと思う。エクスタシーの名前はよく聞いていた。でもドラッグ・パーティーに誘われる度にわたし達は、No thanksと言い続けた。その友人に限ったことではないけど、薬をやっている人は皆、ドラッグは煙草よりも中毒性が低いから大丈夫だと言っていた。それが本当なのかどうかは、ドラッグをやったことがないので分からないけど、「わたし達は煙草を吸っているだけで十分体に悪い事しているから、ドラッグは要らないよ」が、わたしと幼なじみのいつもの断り文句だった。

 

わたしと幼なじみが通っていた学校にも、ドラッグの誘惑はたくさんあった。わたし達と同じように語学を学びにきた日本人留学生の中には、興味本位で薬をやっている人達もいた。薬を始めると彼らは徐々に学校にくる日数が減っていった。そして中には、学校をやめてしまう人もいた。日本に帰国直前に、どうやって手持ちのエクスタシーを隠して持って帰ろうかと、悩んでいる学生もいた。イギリスだけではなくて、海外で暮らしたことのある人なら、何処の国でも似たようなことはあると思う。

 

飛鳥がロンドンでどんな風に暮らしていたのかは知らない。でもロンドンでは日常的に、日本よりもずっと身近にドラッグの誘惑があったことは事実だ。日本とは全く文化の違うイギリスでは、いいとか悪いとかではなく、ドラッグはある種、「暗黙の了解」みたいな空気があった。20代の頃のわたしも、それは肌で感じていた。ただわたしは、外国にいるという開放感から気持が大きくなって、道を踏み外していく日本人留学生を沢山見ていたので、彼らと同じようになりたくないという思いの方が強かった。だからドラッグには最後まで手を出さなかった。それだけだ。

 

わたしには、信仰する宗教がない。啓発セミナーに行ったこともないし、啓発本を読んだこともない。だから自分がこれまで経験してきたことでしか物事を測れないけれど、生きていく中で真実だと思っていることが三つある。それは

1) ついた嘘は必ずばれる

2) 他人を傷つけて、自分だけが幸せになる道はない

3) 過ちは、必ずそのツケを払う時がくる

 

これらは全て、わたし自身の過ちからから学んだ。色んな失敗を重ねながら生きてきて、この三つは事実だと、今は確信している。少なくともわたしは、これらから逃れ切って楽を出来たことは、一度もない。

 

飛鳥は今度こそ目を覚まして、真摯に罪を償うのだろうか。それとも、これからも、彼の言う解放の先にある幸せを求めて、さまよい続けてしまうのか。解放の先にある幸せとは一時的な快楽であって、幸せとは程遠いと思うのだけれど。

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